2011年11月10日
グレープカップコンテストの課題文について-なぜ「よだかの星」なのか
2011年度グレープカップ課題文について–なぜ「よだかの星」なのか
福岡女学院大学短期大学部
学部長 上原 敬司
2011年3月11日の東日本大震災で亡くなられた方々に追悼の意を表すとともに、震災および原発事故の影響で不自由な生活を強いられている方々にお見舞い申し上げます。
「頑張ろうフクシマ」「頑張ろう日本」と叫ばれていますが、日本や全世界を震撼させたこの大惨事を私たちはどのようにとらえたらいいのでしょうか。この東日本大震災は私たち人間に繰り返し繰り返し問われている根源的な問いを発しています。人間にとって自然とは?人間も自然のささやかな一部ではないのか?いかに人間は自然とかかわっていけばいいのか?
今回のグレープカップコンテストの課題文『よだかの星』の作者、宮沢賢治は誕生の年と亡くなった年に彼の故郷、岩手で三陸地震津波と三陸沖地震を経験しています。賢治は生涯、自然について考えることを宿命づけられていたのでしょうか。まずは東日本大震災の後、盛んに朗読された『雨にも負けず』の詩をここで思い出してください。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
とはじまります。自然の厳しさに立ち向かう賢治の心意気が感じられます。しかし自然と対等に渡り合うことはできません。
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
厳しい自然の前では人間は何もできないのです。日照りで涙を流したり、冷夏におろおろ歩いたりすることしかできません。賢治は自然を人間の思うままに支配することは傲慢だと考えていたに違いありません。自然の厳しさの前では呆然と立ち尽くすしかないと感じていたのでしょう。自然の厳しさを忘れた現代人は自然に対する畏怖の念も忘れ去っているのです。
『よだかの星』でも賢治の自然に対する畏怖の念が表現されています。厳しい自然の摂理の中で苦悩し、絶望しつつも徹底的に自分を昇華させようとした醜く弱い鳥の話です。「食物連鎖」という自然の摂理を賢治は全身全霊で受け止め、自然の厳しさとその中で生きる生きとし生けるものの宿命を「よだか」に託して美しい詩に昇華しました。よだかは本物の鷹や他の鳥たちから嫌われ死の脅迫をうけながら、自分もほかの小さな生き物を殺していることに気付くのです。他の小さな生き物を食べることは命をつなぐためのぎりぎりの行為であれこの負の連鎖の中に自分がいることに苦悩し、絶望するのです。その絶望の中で自分自身を昇華させていくのです。
今回の課題文『よだかの星』は私たちは自然とどうかかわっていけばいいのかを問いかけています。人間にとって自然とは何であるのかを、立ち止まって思索を巡らせてみてください。