2013年02月27日
「百読百鑑」レビュー 『ノルウェイの森』村上春樹 by メロンパン
愛とは何か、永遠とは何か。そう問われても、私たちくらいの若い年齢では、まだ、答えられない人も多いのではないだろうか。少なくとも私はそうである。しかし、そのようなことを考える材料やきっかけとして、この本がふさわしいのではないかと思った。村上春樹の小説、『ノルウェイの森』である。
主人公の「僕」は、大学生で18歳(途中で19歳、そして20歳になる)。彼には高校時代、唯一仲良くしていた友人がおり、その友人の名はキズキといった。そしてキズキには、直子という別の高校の、同い年で幼馴染であり恋人でもある女の子がいた。「僕」とキズキと直子は、よく三人で一緒に過ごしていた。高校3年のある日、遺書も前ぶれもなく、キズキが突然、自殺してしまうまでは。その後、別々の大学に進学した「僕」と直子が偶然再会するところから、物語は動き出す。
キズキの死後、殆ど会っていなかった二人が、それを機によく二人で過ごすようになる。その時の二人の間の感情は、愛、と呼べるのかもしれない。しかし一方で二人は、キズキというそれぞれの「大切な存在」を失った空虚感のようなものを共有して、寄り添っているようにも読みとれる。だがそんなある時、直子は精神のバランスを崩し、山奥の療養所に入ることになる。「僕」はそれでもそこへ手紙を出し続け、直子との関係を保とうとするが……。
私の感じたことは、この物語で「僕」は常に何かを待っている状態にあるのではないか、ということだ。キズキが死に、直子が療養所に入り、「僕」は何かずっと、待ち惚けを食わされているような気がする。そんな「僕」の姿から、冒頭に挙げた、「愛とは、永遠とは何か?」というようなことを、改めて考えさせられる。
そのような状態にある「僕」は、最終的にどう生きていくのか。そして、愛とは、永遠とは、何だろうか。ぜひ一度読んで、「僕」の姿を通して考えてみてほしい。
投稿時間:2013年2月27日 10:44 | 固定リンク
2013年02月27日
「百読百鑑」レビュー 『千と千尋の神隠し』宮崎駿 by たお
「千と千尋の神隠し」宮崎駿 byたお
転校することになった千尋は憂鬱な気持ちで車に乗っていた。父が道を間違え、山道を突き進んで行くと古いトンネルが行く手を阻んでいた。好奇心に駆られた両親はトンネルの中に入っていく。仕方なくついてきた千尋は何度も両親を止めようとするが、トンネルをでたところには見たことのない世界が広がっており両親は食べ物の匂いのする方へと向かい、屋台に入ってしまった。大きな油屋やたくさんの怪しい屋台などを見て千尋はこの場所が普通ではないことに気づき、両親の元へ駆け寄るが両親は二頭の豚に姿を変えていた。
千尋は両親を元に戻す方法は油屋で働く以外にないことをハクという少年に知らされ、千尋は彼と油屋へと向かった。湯婆婆という油屋の主に油屋で働くことを許された千尋だったが、湯婆婆に働き口と引換に名前を奪われ「千」という名前にされた。
ある時、ハクは千尋を豚になった両親に会う機会を与える。その時千尋は孤独を感じてしまう。そんな千尋にハクはおにぎりを渡す。千尋はそのおにぎりを食べて大粒の涙を流しながらも両親を元の姿に戻すためもう一度頑張ろうと決心する。
ハクは湯婆婆の姉の銭婆の呪いのかかった印鑑を飲み込み死にそうになる。千尋が持っていた苦団子で印鑑を吐き出すが、ハクは動かないまま。そこで千尋は印鑑を銭婆の元へ届けることを決意する。
湯婆婆に呼ばれ千尋は油屋で暴れているカオナシに会う。カオナシは以前自分に優しく接してくれた千尋の望みを叶えてやりたいと思って金を出すが、千尋の心は掴めなかった。千尋は襲ってくるカオナシに苦団子を食べさせ飲み込まれていた者たちも吐き出され事はおさまる。
千尋は鉄道で銭婆の元へと向かった。その時意識を取り戻したハクは湯婆婆と取引をして千尋を迎えに行った。千尋は銭婆に事情を話して印鑑を返す。迎えに来た竜の姿のハクに乗り油屋へと帰る途中、千尋が小さい頃溺れた川の名前を思い出し、その名前がハクの名前であったことが分かる。その時ハクの鱗が剥がれ落ち、少年の姿に戻る。油屋に戻り湯婆婆から何匹もいる豚から両親を当てる事ができたら両親を人間に戻してやると言われ、見事その場に両親が居ないことを当てる。千尋は人間に戻った両親とともにもと来た道を 戻り帰った。
何度見ても見る度に新しい事に気づかされる作品だ。 特に千尋の心情の変化がこの作品に引き込まれる理由の一つだと考える。また、ハクが元の世界に戻らない裏の意味を考えさせる所も面白い。
投稿時間:2013年2月27日 10:41 | 固定リンク
2013年02月19日
卒業論文発表会を実施しました
4年生になると、これまでの研究成果を「卒業論文」としてまとめます。テーマは文学や外国の文化、地域、観光、現代社会などゼミの内容や学生に興味に応じてさまざまです。
ゼミによっては、学期末に卒業論文発表会を実施しています。今年度は高岡ゼミ・田中ゼミが合同で卒論発表会をおこないました。
学生はまず、自分の卒業論文について資料をもとに7分程度発表します。続いて他ゼミの先生や他学科の先生からの質問に答える質疑応答の時間が5分から10分程度。矢継ぎ早に次々と鋭い質問が寄せられ、発表学生は必死に自分の意見を述べます。この数分間がひたすら長く感じます。
卒論発表会というハードルを乗り越えて、あとは卒業判定、卒業式を迎えることになります。
▼現代文化学科Facebook
http://www.facebook.com/fukujogendai
投稿時間:2013年2月19日 22:12 | 固定リンク
2013年02月19日
「百読百鑑」レビュー 『 人間失格 』大宰治 by チョコちゃん
裕福な家庭に育った葉蔵は、本能である「空腹」という感覚すら知らない。人間の営みと言うものがわからないことに大変な不安を持つ彼は、自分一人が何も分かっていないという恐怖に襲われる。そしてそれをごまかすため「道化」を演じるようになる。中学でも道化を演じる葉蔵だが、その葉蔵の道化を見破る少年竹一に出会う。その後上京し、高校に入学。彼は、画学生堀木と知り合う。堀木と遊び回るうちに、カフェの女性と知り合い、ある事件を起こしてしまう。家からも勘当された葉蔵は、堀木の家で知り合ったシヅ子という女性の家に居候を始めるが、ふとしたことでシヅ子の家を出ていく。その後何人かの女性の家を転々とするが、そのうち葉蔵の生活は乱れ、再び事件を起こす。
内容がとても重苦しく、一度読んだだけでは理解し難い。薬や女に溺れて堕落し*ていく葉蔵に嫌悪感を抱く人もいるかもしれない。しかし誰でも一度は葉蔵と同じような経験をしたことがあるのではないだろうか。わざと道化を演じたり、本心をさらけ出すのが怖いと感じることは誰もが経験していることだと思う。何度か読み返したり、深く考えていくうちに、葉蔵の繊細な部分が見えてきておもしろいと思えてくるのではないだろうか。
投稿時間:2013年2月19日 11:46 | 固定リンク
2013年02月19日
「百読百鑑」レビュー 『銀河鉄道の夜』宮沢賢治 by ユキ
宮沢賢治の代表作である「銀河鉄道の夜」は、宮沢賢治の妹トシの死から2年後に初稿が成立したと言われる作品である。主人公のジョバンニが、友人カムパネルラと共に銀河の不思議な旅をするという幻想的な物語。
ジョバンニの父は漁に出たまま戻らず、母は病院で寝たきり状態。苦しい家計を支えるために学校に行きながら働き生活している。銀河祭りの晩、丘の上で寝ていたジョバンニは気付くと銀河鉄道に乗っており、前の席にはカムパネルラがいた。2人は銀河の幻想的な旅に出る。そこで様々な出会いと別れを経験する。その中で、沢山の生き物を殺して生き延びたさそりが「ほんとうのみんなの幸」を祈り輝く星になったという話を聞く。ジョバンニは「ほんとうのみんなの幸」を探すためにどこまでも一緒に行こうとカムパネルラに言うが彼は消えてしまう。目を覚ましたジョバンニは、カムパネルラが命を犠牲にして友人を助けて死んだことを知る。
この物語で賢治が伝えたかったことは人々の幸せ、そして死ではないかと思う。妹トシとカムパネルラを重ねてこの作品を読み返してみると、奥深く感じられる。賢治にとって妹トシは大切な存在であった。2人の関係はジョバンニとカムパネルラに似ている。また、賢治は星を見たりするのが好きだった。そのため、他の作品にも「双子の星」や「よだかの星」など星についての作品が多い。その中で銀河鉄道に妹トシをかさねたと思われる。銀河鉄道という幻想的な列車に夢や希望を乗せて2人で旅をするが、そこには別れや悲しみもあった。カムパネルラの死にトシの死を重ねて表現し、その悲しみを伝えているように感じる。「世界中の人々が幸福でなければ、自分の幸せはない」と考えていた賢治は、その思いと大切な存在を失った悲しみを銀河鉄道に乗せて、本当の幸せを探し、1人でも多くの人を幸せにしたかったのだろう。このように銀河鉄道の夜は賢治の気持ちを表した作品であり、読者にも本当の幸せを探してほしかったのかもしれない。
投稿時間:2013年2月19日 10:23 | 固定リンク
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