前期も開かれていた英語の補講「言語芸術寺子屋」が、後期も始まりました。
言語芸術学科という科名にせよ、寺子屋という補講タイトルにせよ、なんとなく今風ではないかもしれませんね。カタカナの方が一般受けはするんでしょうけど、学科の趣旨やイメージを考えると、どうしてもこんな風になってしまいます。特にこの「寺子屋」というのは、学科の持つ雰囲気にぴったりの表現なので、ある先生が強く推したんです。
学科の構想を練る際、私たちスタッフは、訓練、鍛錬、修練、道場、寺子屋といった昔の塾のようなイメージを大切にしました。学生と教師が、お互いに認め合い、尊敬し合い、仲も良い。しかし、確実に二者の間には一線があり、なあなあの関係にない。そんな関係を築けたら、きっとよい学問上の子弟関係が生まれるではないだろうか。おもしろいけど厳しい。そんな教育を目指して学科カリキュラムはつくられました。
学生はおもしろい部分にはすぐに反応します(これも大切)が、厳しい部分には近づきたがりません。まあ、あたりまえなんですが、学科の方針からするとこれでは困りますので、厳しい部分もきっちりとやっていただきます。言語芸術寺子屋はその方針にもとづく活動の一つです。
言語芸術学科が目指す学生の英語力というのは、辞書さえあれば、通常の英文学作品も鑑賞出来き、ビジネスレターも常識的に英語で書ける、そういう英語力です。ですから、確実な文法力が必要になります。確実な文法力といっても、レベル的には高校生までのもの。特に高校一年生くらいまでのものです。私は25年以上大学で英語を教えてきましたが、変な傾向を目にしてきました。それは、英語のコミュニケーションはある程度できる、また、TOEICテストなどでは高得点をとる、そんな人が意外に英語の文章を書けないというものです。例えばTOEICを800点以上とっていても、英語で文章を書いてもらうと、英語にはあり得ない形のめちゃくちゃな文章を平気で書くのです。もちろん全員ではありませんが、かなりの確率でこういう人はいらっしゃいます。将来英語を使って仕事をする、といった場合、具体的にはコミュニケーション能力のみならず、しっかりとした文法力・文章能力が必要になります。寺子屋は後者をまずきっちりと定着させようとするものです。