家庭の都合で転校しなければならない千尋とその両親は、移動途中に不思議なトンネルを見つける。そのトンネルの向こうには見たことのないような大きな城や、その下に街がある世界があった。そこで豚になってしまった両親を助けるため、湯婆婆のもと、油屋で働く千尋と、彼女の手伝いをするハクの物語である。
ハクは千尋に「自分の本当の名前を教えてはいけない」と忠告し、湯婆婆のもとへ送り届ける。千尋は湯婆婆に渡された紙に名前を書くとき、荻野の「荻」という字をわざと間違えて書いて渡す。そのシーンが印象的である。私はこの作品を小学生のころに何度も見た。わざと間違えるというこの行動があるからこそ、千尋は最後まで元の名前を忘れなかったのだ。作りこみの深さに感動する。
最初からトンネルの向こうの世界に住んでいたハクは、本当の名前を忘れ、その世界から抜け出せない。それにもかかわらず、迷った千尋を助ける。彼女が困った時に励ます優しさは、知らない世界やシステムで不安になる視聴者を唯一安心させる要素であるように思われる。
結局、千尋はトンネルを抜けたときに向こうの世界で過ごしたことやハクとの思い出、そしてハクの存在すら忘れてしまう。小学生のころに鑑賞したときは、千尋が両親を助け、元の世界に戻ってよかった、つまりハッピーエンドで終わったのだと思った。しかし、今になって思えば、確かに元の世界に両親と戻ることが出来たが、ハクとは永遠に別れなければならなかった。別れた直後のハクのことを考えると、胸が痛む。この作品は一見ハッピーエンドに見えるが、実は見方を変えれば、どうしようも無いほど悲しいバッドエンドだったのではないかと思う。ハクは終始千尋のことを励ましたが、最後には全てなくなってしまう。あえてそのような終わり方にした宮崎駿は、最高の映画監督である。