この作品は、主人公であるワタナベとその周りを取り巻く人々が、昭和の良い意味での古臭さがある世間を生きる様子が描かれている物語である。
親友のキズキが突然自殺をし、キズキの幼馴染である直子とワタナベが次第に打ち解けていくことから物語が始まっていく。読み進めていくうちに直子の、キズキの死に対する思いや彼の死後に急接近していくワタナベへの気持ちが明らかになっていく。次々に現れる大学の友人などの過去や心情が交錯し、ストーリーは複雑化していく。
私がこの作品の中で最も着目した点は、直子とレイコが住む阿美寮と世間との空気の違いである。ワタナベが初めて阿美寮を訪れた時、寮の人々は皆、昼間は農作業や動物の世話など、自分のペースに合わせたカリキュラムをこなし、夜はレイコのようにギターを弾いたりして、穏やかな時間を過ごしていた。患者であれ、医者やスタッフであれ、困った時はお互いに助け合う。寮全体が一つの協調性と信頼でできた集合体のように思われた。しかし、ワタナベが寮から自宅へ戻り、都会の日常生活を送った時、作品中には直接著されていないが、都会独特の空気を感じた。それは困ったことがあれば助け合う温厚な心を持つ寮の人々とは異なり、同じような日常に飽き、冷え切った人間関係の中で何となく働き、何となく学ぶような環境が生み出す空気である。自分の世界に引きこもり、勘繰りあって生きているような人間が多数を占めているから生み出されるのである。ワタナベもやはりそのうちの一人で、阿美寮から帰って来た時の外界の変化についていけなかった描写が印象的である。
この話の一番最後の「僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼び続けていた」という文に、この作品の最も薄気味悪く、少し寒気のするような怖さが詰まっている。読み手を唸らせる。