難波征男教授 (現代文化学科長)

本学現代文化学科には、将来、エアライン関係やホテル業、旅行業を目指して学習している学生がたくさんいます。そこで、現代文化学科ではその希望が実現できるようにANA、JAL、西鉄、JTBやECCエアライン学院の協力を得て、新講座の設置、体験実習、インターンシップの開発等に努力しています。そのために企業と大学の間で、多くの話し合いをしました。

先ず企業の方々は、それぞれの社会的使命をもって仕事をされており、それを継承し発展させることができる若い学生を求めている。「学生生活を十分に満喫して魅力的な人柄を形成し、広い教養と意欲をもっている人を望んでいる。専門的スキルは二の次です」というのが、集約すれば彼らの意見でした。大学は学習し研究する所であって就職予備校ではありませんが、企業の人からこのような意見を拝聴すると、大学の研究や学生本来の学業を正しく理解されていることに意を強くいたしました。古典研究の私には、学生に古典の魅力を伝え、古典文献の解読能力を養う現代的意義を再確認する機会になりました。

現代文化学科は、観光文化・交流文化・日本文化(国語教職)の三分野で構成していますから、学生がこの三分野を各自の目標によってバランスよく学習すれば、専門的教養を身につけた魅力的な人柄を身につけることができるでしょう。昨年、中高の教職資格を取得した学生がフライト・アテンダントになりましたが、今後、このような学生が増えるのを願っています。

私の専門研究は中国古典、儒学の研究です。専門の儒学から「観光文化」を考えてみましょう。実は「観光」という語彙は、儒学の古典である『易経』「観」の卦に初めて登場するのですが、そこには「国の光を観る」と記されています。その意味は、一国の魅力的な光を観ることができる能力をもっている人は、国王から賓客として迎えられるというのです。つまり、故に「そのような人物になりなさい」というのです。要するに「観光」の目的は、異文化世界の魅力を見抜き、それを受容して自己の周辺世界をより幸福にできる人物になることだと述べているのです。観光と幸福、および人の育成が和合しているのです。

ご存知のように近年は「儒学ブーム」です。それに乗せられてか、私も昨年は中国や韓国で開催された国際学会で5回発表し、海外調査旅行も5回行きました。

主要なテーマは、地球温暖化や宗教戦争、心の不安や道徳的腐敗等、地球と人類の危機を回避するために、その知恵や行動方法を東アジアの儒学--特に「和」に求めるものです。「和」は平和、和睦、和解、和楽、柔和、和諧ですが、「和」を目的にしたダイナミックなプロセスを探求しようというものです。「和」は「同」とは違います。「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」(『論語』)「和、実れば物を生じ、同なれば則ち継がず」(『国語』)というように和と同は違うのです。

この「和同論」は現代的課題だと思います。例えば、頻発している「いじめ」を考えて見ますと、一人ひとりの人格的尊厳から個性を認めあい、自己と他人の相違を認めた上で「和」を追求すれば幸福ですが、逆に利己主義から他人の相違を認めないで、「同じもの」を強制する「いじめ」が頻発しています。どうですか。古典を学び、現代文化の問題解決を、ともに考えようではありませんか。

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