南川教授コラム NGO「アジア教育開発」とカンボジア①

アジアにかかわったのはフィリピンから。やがて活動はタイへ移り、最も貧しいといわれる東北部イサンに20年近くかかわり、2000年からカンボジアでの活動へと移った。ポルポト時代の知識人を中心とした200万人とも言われる大虐殺、そして直後の内戦時代を経たカンボジアはやっと銃声が聞こえなくなった時にはすべてを失っていた。医師や看護師、裁判官や弁護士、教師や僧侶といった国の再建の支えとなるべき者はほとんど残っていなかった。医師は20名しか生き残らなかったとも言われている。今でも生まれた12名の子どものうちの1名は5歳の誕生日を迎えることができない。肺炎や結核といった日本では最早脅威ではなくなった病気で多くの子どもが命を失っている。HIVも恐るべき力を揮っている。ベトナム戦争中には「太平洋戦争で日本に落とされた量の2倍の爆弾」が投下され、今でも不発弾として、内戦中に埋設された数百万個の地雷とともに多くの人々の手や足やそして命を奪っている。病院にかかれるのは国民の5人に1人。1人が1ドル以下で暮らす世界最貧国に指定されている。売られる子どもが後を絶たない。タイの英字新聞には母親が自分の双子の赤ん坊を売る場面が大きく報道され衝撃を与えた。記事での子どもの値段は10ドル。一般に国外に出るときには100ドルとも言われている。自国の通貨リエルではなく専らアメリカドルが通用していることがこの国の現状をよく表している(つづく)。
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HP担当者 | 南川教授の多文化コラム | 19:02

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