南川教授コラム NGO「アジア教育開発」とカンボジア③

ツアーではここ数年は30名程度の学生がいくつかの大学から参加し、数名の社会人の参加もある。ツアーの中心は孤児施設に泊まりこんでのボランティア。ツアーでは航空会社のご好意で一人当たり30Kgまで荷物を許してもらっている。各個人の荷物が15Kg平均なので、毎年およそ500Kgの支援資材を運べることになる。段ボール箱で50個程度の荷物は、衣類・文具・タオル・歯ブラシ・ミシンが中心となる。参加者は事前に活動計画を作って、持参する必要があるものは各自で準備する。英語教室・日本語教室・ビーズアクセサリー造り・スポーツ・ピアニカ教室などのほかにペンキ塗りや、昨年は食堂の床のセメント塗りも行った。施設の子どもたちとの数日間の濃厚な時間を過ごすことになるが、帰りには「子どもたちにボランティアして貰った!」と参加者が感じるのは毎年のこと。

この孤児施設だけではなく、Son氏のキャンプでの教え子ボッティー氏が責任者を勤めるプノンペンのゴミ捨て場ステミンチャイのスラムの学校も少しだけだが支援している。ステミンチャイのゴミ捨て場にはプノンペン近郊から出るあらゆるゴミが捨てられ、これらの中から換金できそうなものを拾い集める人々が集まりスラムが形成された。広大なゴミ捨て場には悪臭が漂い、おびただしいハエが飛び交っている。ゴミ捨て場のはずれには拾い集められた紙やビニールや金属などを買い取る業者が軒を連ねてちょっとした町工場街といった感じだ。元々低地だったこの土地は雨季になると冠水して蚊の発生源ともなる。100名ほどの子どもたちのこの学校は、元々スラムの子どもたちのための職業訓練の場として日本の団体によって設立された。今は主にスラムの子どもたちの小学校として機能している。うれしいことに昨年参加した学生たちが自分たちでグループを作って支援を始めた。

“Friends Without a Border” が運営するアンコール小児病院も少しだけだが支援している。人口の1/5しか病院にかかることができないこの国では、この病院にたどり着ける子どもはまだ幸運で、ここに来れば質の高い医療で命を取り留めることができる。しかし毎日朝から数百人の人たちが押しかけるこの病院では手遅れの子どもたちも少なくない。あと二日、せめてあと一日早くここに来ていれば・・・という子どもたちも多い。交通機関が十分に整備されていないこの国では、わずか100kmの距離を数日をかけてやってくる。子どもを連れて病院に来る交通費を工面するために家や田畑を手放さなければならないこともある。日本人カメラマンが設立したこの子ども病院では日本人看護師・赤尾さんが活躍している。一昨年にはTBSが製作した「小さな命を救いたい」という番組の最初に取り上げられ、多くの人に感動を与えた。彼女の主な役割はHIVの子どもたちを中心に、病院に足を運べないような僻地の村の子どもたちへの訪問看護だ。「明日になれば直るかも・・・」という親の気持ちがわからないわけではないと赤尾看護師は毎年訪問するたびに多忙な時間を割いて学生たちに話してくれる。 時には涙で詰まりながら、日本ではなんでもないような病気でも、ここに生まれたばかりに助からない命がたくさんあることを学生たちに伝える。

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(天神サテライトにて講演がありました)

HP担当者 | 南川教授の多文化コラム | 10:09

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