吉田修作教授 (人文学部長)

私が現代文化について考えるようになったきっかけは、現代文化学科の発足にあります。そこで、はじめに、現代文化学科発足の経緯を簡単に述べておこうと思います。現代文化学科は2001年4月に表現学科とともに発足しました。それ以前の人文学部は、日本文化学科と英米文化学科の2学科で、キャンパスは小郡市にありました。現代文化学科はそれまでの日本文化学科の流れを汲みますが、それ以前に英米文化学科や短大に所属されていた先生方も入られ、新たな学科となったわけです。学科改編時、私は学科長でした。現代文化学科発足にあたり、学科会議などにおいて、先生方同士で現代文化をどのように捉えるかなどの議論をしました。

それまでの学科と現代文化学科の違いの1つは、観光文化分野(当初はコース)が設けられたことでした。私もそれ以前は、特に大学の授業において、観光文化というものを意識することはありませんでした。所属学科に観光文化分野が設けられたことで、必然的に自分にとって観光とは何かということが突き付けられることになりました。そのことを考えていくと、実は、私の専門分野の1つの民俗学で扱う「祭り」は、観光と関係が深いことに気づきました。そこで、現代文化学科の1年生対象の科目「生活文化論」では、九州を中心とした「祭り」を取り上げ、それらが地域の観光と結びつくことをテーマとし、2002年度の『入学案内』には「祭りと観光」というタイトルで、博多祇園山笠の紹介をしました。「生活文化論」は今でも、正月から1年間の年中行事である「祭り」を通して、生活・地域・観光などのつながりを考えています。

もう1つ、私の専門科目と現代文化との接点を見出すきっかけになったのは、宮崎駿監督のアニメ映画でした。特に「千と千尋の神隠し」は、その「神隠し」というタームが民俗学を踏まえているように、宮崎監督のアニメは民俗学の知識を基にした作品が多くあります。宮崎アニメは、日本文化学科の当時から学生の卒論のテーマにもなっていたので、学生と一緒に「千と千尋」などの宮崎アニメを分析していくことで、その現代的意義と民俗学の知識がミックスされた魅力に取り付かれていきました。

他の授業では、安倍晴明伝承を題材にした映画「陰陽師」、民俗学者柳田国男の「妖怪談義」などを基にした水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」などを取り上げることで、現代文化の中に国文学、民俗学が息づいていることを学生に示しています。実は、そもそも柳田国男や折口信夫などの行った民俗学、国文学は、それぞれの生きていた当時の現代文化への批判から始まっています。従って、現代文化を一方で考えながら民俗学、国文学を行うというのはそれらの学問の原点を見直すことにつながっていきます。今後も、現代文化を見据え、それに対する分析を手がかりにしながら、自分の専門分野を考えていこうと思っています。

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