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院長・学長挨拶

大学沿革

福岡女学院大学は、昨年創立20周年を迎えました。大学が所属する学校法人福岡女学院は125周年を迎え、2つの記念すべき年が重なり、多くの記念行事が行われました。ともに伝統の重みを実感した年でした。この伝統は単に長い年月を重ねたというだけのものではありません。その年月の間に、創立時から持続してきた理念を継承し、次の世代に受け渡してきた先人たちの営みの積み重ねが伝統として守られてきたのです。

その伝統の内容を一言で述べるとすれば「豊かな人生のため」の備えをする大学教育ということができるでしょう。福岡女学院大学は、「つながり」を大切にする学校です。人間は一人で生きているわけではありません。好むと好まざるとに関わらずさまざまな関わりの中で生きていかなければなりません。「つながり」を大切にすることはこのような人間の事実を積極的に受け入れ、前向きに考えていくことに他なりません。

友人や家族、多くの隣人とつながりながら私たちの人生が形成されていきます。そのつながりの中で、傷ついたり悲しい思いをすることもあるかもしれません。しかし、一方でよい関係を作り上げ、豊かな人生を歩む土台を形成することもできます。また、自分を取り巻く社会、世界とのつながりも無視できません。社会的存在である人間は、それぞれが置かれた歴史的、場所的制限の中でそれを受け入れつつ、その人生の営みを続けていかなければなりません。そのために、正しい状況認識が要求されます。さらに、私達の命の神秘を考えますと、目に見えない大きな力と摂理を感じざるを得ないこともあります。それを福岡女学院大学では超越的な神とのつながりとして理解し大切にしています。

このようなさまざまなつながりを体系的に理論化していけば多様な学問領域が現れてきます。福岡女学院大学に含まれる学部や学科は、そのような学問領域を教授する目的で設定されていますが、何よりもその背景にある人間のさまざまなつながりを土台としていることを強く反映しています。ともすると、学問が自己目的化し、学問のための学問になる危険性がありますが、その根本にまでさかのぼって学びの意味をともに考えたいと願っています。

特に現代社会が直面している諸問題の中で、人間関係が希薄となり、効率的、画一的な価値が求められ、感覚的な目に見えるものしか信頼しないという風潮の中で、かけがえのない一人の人間の存在を大切にしていくという姿勢は本当の意味での「豊かな人生」を志向していくものだと思われます。私達教職員一同は、学生とともにそのような教養を身につけるために努力したいと願っています。

院長・学長 木ノ脇 悦郎

院長・学長

木ノ脇 悦郎

年間聖句

2013年度 『共に労苦すればその報いは良い』(コヘレトの言葉4:9)

 2011年度と12年度は、年間聖句としてガラテヤ信徒への手紙の中から「互いに重荷を担いなさい」という言葉を選びました。東日本大震災の前に選んだ言葉が、結果的にこの大災害を被災者と共に生きていくための励ましとなりました。

 学院の年間聖句としては、福岡女学院共同体で共に働く私たちの在り方を指し示す示唆的な表現として理解したいという願いが込められていたのでした。そのために、この手紙の著者であるパウロの問題意識を次のような言葉で表しました。「律法という自分の殻に閉じこもり、他者を裁くばかりで他者の、あるいは共通の困難から目を背けていた人々はなにも積極的な役割を果たしていません」と。共同体の一員として共通の重荷を担っていくのは当然のことですし、それが私たち人間の生きていく基本的な存在の在り方であるともいえるのです。「なんという空しさ、すべては空しい」と詠嘆の言葉で人間世界の様々な空しさと不確かさを表現した「コヘレトの言葉」の編著者でさえ人間存在については、「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い」と言い切っています。

 今年の年間聖句には、上記のコヘレトの言葉を選びました。「ひとりよりもふたりが良い」ことは誰もが認めることでしょう。聖書はこの言葉に続いて「倒れれば、一人がその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ」「ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい」という言葉を重ねています。これをあえて否定する人はいないでしょう。「互いに重荷を担う」ことができる背後には「ひとりよりもふたりが良い」という知恵があったのでしょう。

 現在、日本の教育界を取り巻く環境が厳しいことは誰もが承知していますし、特に地方の女子教育を担っている学校の厳しさは私たちが日常的に体験している通りです。福岡女学院に関わった先達たちが厳しい現実に立ち会いながらその歴史を刻んできたことはよく語られますし、私たちの共通の知識にもなっています。幾多の困難を克服してきたのは、誰か特別なカリスマを持った人だけではありません。その場面に直面した多くの教職員の協力があったからこそ、絶望せず、投げやりにもならず、互いに励ましあいながら希望をもってその歴史を営々と築き続けてきたのだと思います。

 学校の活力は、そこで学ぶ園児、生徒、学生たちの生き生きした表情を源にしています。幸いなことに、福岡女学院のキャンパスで出会う園児、生徒、学生たちの表情は明るく、活力にあふれています。そのことに励まされて、私たち教職員も元気に働きたいと願っています。そのために「共に労苦すればその報いは良い」ことを身をもって実践したいものです。「共に労苦する」職場は、希望の光が満ち溢れるでしょうし、そこからさまざまな工夫も生じてくるでしょう。その結果「よい報い」も得ることができると信じています。2013年度は、この聖句に導かれて福岡女学院がさらに前進する年となるように祈っています。